雲水散水旅庵定就書状 一幅

34.6×50.5 慶長9年(1604)



 



 慈心坊尊恵は、比叡山の学侶で法華経の持経者であったが、離山して摂津国清荒神清澄寺の住職になった。さらに有馬の温泉寺にいたり、清涼院にとどまった人物である。また、「平家物語」巻6などにみられる尊恵の冥土曼荼羅・法華経・水晶製数珠などが伝わり、これらの品は、尊恵が閻魔王宮に持参したものという。この書状は、蓮華寺住持玄良がそれらの品を豊臣秀頼に台覧した際のことを定就なる人物が蓮華寺同宿中宛に書を送ったものである。



御室宮御教書  1幅

36.6×50.5  寛永8年(1631)






 慈心坊尊恵の所持品と伝えられる両界曼荼羅・十六羅漢等の蓮花寺宝物を仁和寺門跡が不例(病気)のため拝覧できなかったことが、この文書でわかる。その際の門跡の意を仁和寺大僧都某が蓮花寺住寺仁清に書を送ったものである。当時の仁和寺門跡は、覚深法親王。
 
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