縁起

イメージ 武勇の歴史を支えた摂津の国の古刹

 法導仙人開創の霊地として知られる真言宗 大覚寺派 深谷山蓮花寺は、孝徳天皇の御代(人皇第37代)、今からおよそ1300年前に多田源氏の帰依を受けることに隆盛し、歴史的にも重要な文化財を保有する古刹として今に伝わります。
 本尊の阿弥陀如来、脇仏(観音菩薩、地蔵菩薩)の3体は県の重要文化財に指定されております。山門も県の重要文化財に指定されており、豊臣家の寄進によるもので、織豊時代の荒木村重の乱に一度焼失したものを豊臣秀頼が再建したと伝えられています。
 山の中腹の樹間には高さ20メートルの多宝塔がそびえ、そのむかし、七堂伽藍を備えた巨刹であったことがうかがえます。境内に点在している古石塔は、長享3年の物から、大五輪塔にいたっては足利時代の物まで有ります。




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鬼退治と古仏さま

 三田市近郊、まだ丹波・有馬地区で唯一の二重塔屋としても知られ、蓮花寺のシンボルであるこの多宝塔は、文化9年(1812年)に再建立されてもので、塔内には、本尊の釈迦牟尼如来と共に千年以上も前の作といわれる木製の一願成就仏が安置されています。
 この古仏の謂れも興味深く、そのむかし源頼光が「大江山の鬼退治」におもむくおりにこの地に立ち寄り、強敵を前に武運を一心に願い、祈願を重ねたところ、その一願が成就したことにより『一願成就仏』と人々に崇められるようになり、遠方からも祈願と篤い信仰をもって多くの信者がお参りするようになったといわれております。一願成就仏の信仰地として、里の茶店は賑わい、村は、参拝客の行き来により活気づき、信仰地として多くの参拝の波が絶えることがなかった時代がありました。
 こうして、蓮花寺は治世の強大な権力や戦乱の世の荒波を幾度となく乗りこえて、信仰の殿堂を守って今日に至ります。

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